沖縄フィールドワーク一日目その②
沖縄でのフィールドワーク一日目の続きです。
象の檻の近くに在る、もう一つのガマ「シムクガマ」へ向いました。
この時には、既に陽が暮れかけてて…。
林を分け入って、懐中電灯と軍手で、鍾乳洞の中へ進みました。
この時、体力的に限界なふらふらでしたが、気を引き締めて中へ進み…。
このガマは、約1000人の住民の方が避難されてました。
チビチリガマと同じく、劣悪な環境の中、アメリカ軍に攻められて極限状態になり…。
しかし、ハワイ帰りの比嘉平三さん、比嘉平治さんお二人がおられて、混乱状態の住民の方を説得し、アメリカ軍と交渉されて、一人の自決者も出さずにすみました。
チビチリガマの避難されてるところにも、アメリカを知ってる方がおられたら…。
生き抜く為には、情報は本当に大切だなぁ、と。
ここで、懐中電灯を消して、本当の真っ暗闇を経験しました。
こんな中で耐え忍んで…。
戦没者の御霊に深く平和のありがたさを感謝して祈りました。
そして、シムクガマを出たらすっかり陽が暮れてました…。
すると、たくさんの蛍が飛んでいて…。
Hさんもここでは初めて見られたそうです。
鹿児島の知覧に行かれて聞いた特攻隊のお話を思い出されたそうです。
シムクガマを後にして、この日、最後の学習場所へ。
読谷村楚辺の海辺に在る、ユーバンタ広場の沖縄民謡「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌碑へ行きました。
読谷村楚辺出身の比嘉恒敏さんが作られた歌で。
戦争で生き残られて平和を祈って作られた歌です。
酔ったアメリカ兵の車に突っ込まれて事故死された後、机の引き出しにしまわれてたこの歌を、比嘉さんの4人の娘さんが見つけて「でいご娘」と言うユニットを組んで、歌い広められたそうです。
満天の星空の下、打ち寄せる波の音が聞こえるこの場所…。
村のお年寄りが、この広場にこの歌碑を建てることを強く望まれたそうです。
遠くに夜景が見えます。
米軍基地も見えてるそうです。
この歌のCDを車で聴かせて頂いてて。
戦争を生き残られた方も大変な思いをされて、平和の大切さを訴えておられる…。
沖縄は癒しとかレジャーだけではない。
おじい、おばあの笑顔には、語り尽くせない大変なつらいことや哀しいことや怒り全てを包んで、あそこまで優しい。
Hさんの言葉は重く心に突き刺さりました。
未だに沖縄の基地負担は続いています。
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